ローマ人の物語(7)

最後の決戦

 

名将ハンニバルも最後の決戦にローマのアフリカ=スピキオヌスとします。最終的にハンニバルは負けるわけですが、そこからは古代の面白いところで、負けた将軍同士が

 

密会をするわけです。確か今のトルコで会談をするわけですが、アフリカ=スピキオヌス曰く

 

「この世で最高の名将は」

 

ハンニバル曰く

 

「一位。アレキサダー、二位スッラ、・・・」

 

アフリカ=スピキオヌス曰く

 

「では、私に最後の決戦で勝っていたら?」

 

ハンニバル曰く

 

「そしたら、私が一番さ」

 

ご清聴ありがとうございました

 

 

 

 

 

ローマ人の物語(7)

さて、アルプスを越えてイタリアに入ったハンニバルではあったが、イタリア内部では

連戦連勝であった。しかし、ことローマは陥落したかといえば、なんと、ローマには

 

一度しか進軍しないありさまでした。ここがアレキサンダーの東方遠征との違いですが、アレキサンダーの場合は、アジアを攻めたわけで、戦に勝つたびに小さな豪族

 

アレキサンダーに寝返ったわけです。しかし、ハンニバルの場合はローマと同盟を結んだ都市国家は寝返ることがなかったわけです。

 

まあ、例外もあるわけで、それが、かの有名なピタゴラスという数学者が住んでいた

都市国家であり、ピタゴラスはここで命を落とします。

 

ご清聴ありがとう後字いました

ローマ人の物語(6)

今日はハンニバルについて。カルタゴの名称ハンニバルはローマと戦争をするにあたって、海戦をしてかと思うかもしれませんが、実際は陸路との戦いをしたわけです。

 

カルタゴ(今のチュニジアあたりの位置)から陸路を地中海沿いを進軍し、スペイン、フランスを通るわけですが、有名なのはアルプスを通ってイタリアに入るわけです。

 

ローマとは陸の戦いをするわけですが、その一つの戦いはあまりに、優れた戦法なので、アメリカの陸軍の教科書に載っているほどだそうです。

 

因みに、のちにナポレオンはハンニバルの真似をしたかはわかりませんが、まあ、プルターク英雄伝を読んでいたほどですから、影響はあったでしょうが、イタリア遠征を

 

するさいに、アルプス越えをするわけです。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

ローマ人の物語(5)

ローマ帝国を表す言葉に次の言葉がある。

 

知力ではギリシャに劣り

 

体力ではゲルマン、ガリアに劣り

 

経済力ではカルタゴに劣る

 

ローマが世界を統一した。

 

カルタゴといえば名将ハンニバルによるローマとの第二次ポエニ戦争がゆうめいですが、(ちなみにカルタゴとはローマは3度戦争をします)

 

それは明日にでも紹介します。

 

ご清聴ありがとうございました

ローマ人の物語(4)

昨日は作業所にて脳が活性化して今朝も早朝覚醒。筆をとる。

 

さてシーザーは遠征とローマ帝国の領土拡張ばかりしていたかというと、そうでもなくて文化的寄与もしている。

 

ガリア戦記という著作もあるしーー私はよんではいないがーーあと、かの有名な哲学者アリストテレスも発掘している。どう埋もれていたかは知らぬが、とりあえず、アリス

 

トテレスは著作をだしてはいないようである。ただ彼は学校を創設していて、そこで書いた講義のノートが残っていたらしい。

 

これに対して近代の英雄といえばナポレオンではあるが、彼もまた、文化的寄与をしている。有名なロゼッタストーンである。シャンポリオンという10か国語がでいる兄弟

 

がいて、そのロゼッタストーンに書いてある古代エジプト語の象形文字を解読したのである。

 

ご清聴ありがとうございました

ローマ人の物語(3)

さてさて、今日は塩野氏のローマ人の物語から3話めです。ローマ帝国時代一番の辺境の地と言われていたのが、ブリタニカようするに今のイギリスのことです。

 

さてローマ帝国の研究は真砂の砂ほどありますが、一番研究が盛んなのもイギリスなわけです。一番辺境の地と思われていた、英国に一番研究されているわけですから、皮肉

 

と言われれば皮肉なわけです。  

 

ご清聴ありがとうございました

ローマ人の物語(2)

さてさて、また塩野氏のローマ人の物語からお話を抜粋します。よく、ローマ人はサイフォンの原理を知らなかったといって馬鹿にされることがあります。

 

サイフォンの原理とは、水道と同じ原理で一番高いA地点に水を置くと、たとえそれより大幅にB地点にさがっても、且つc地点がB地点より高くても、c地点がA地点より

 

低ければ、水がA⇒B⇒Cと流れていくということです。たとえていうなら、灯油をポンプでいれるとき、これは逆の流れで真ん中が高いわけですが、一番高い灯油の位置よ

 

り、一番低い灯油の位置が一番低ければ灯油が流れていくということです。

説明がうまくなくてすいませんが、要するに両端の位置で水の流れが決まるということ

 

です。要するにサイフォンの原理を知らなかったローマ人はあんな馬鹿気たローマ水道を作ったと馬鹿にされるわけですが、ローマ人の面目をやくじょすれば、そのローマ

 

水道の制度がとてつもなくすごかったのはあまり知られていません。高い位置から低い位置まで。傾斜が1メートルで数ミリという傾斜でできていたというから驚きです。

 

ご清聴ありがとうございました。

[新訳]ローマ帝国衰亡史 (PHP文庫)