近代人一考

今日はまた爆睡した。朝寝坊である。困った習慣だ。午後からはウォーキングと相対論をやろう。神は私に健康は与えなかった。しかし、時間はくれた。

 

毎日、少し売れた芸能人や、学問という名の遊びを楽しむための大学教授のような生活をしている。私としては、今一番欲しいものはと言われたら家庭ではあるが、それだけ

 

は手に入らないだろう。まあ、結婚は忍耐だともいうので、それほど幸せではないでは

あろうが。近代の人間は己の信条で生きた。現代人は他人がどうかで生きている。

 

近代人とは今から150年ぐらい前の人達だが。日本では江戸末期から幕末。大塩平八郎、幕末の志士、我が郷里にもそんな人が一人いたらしい。

 

アメリカでは、ワシントン、フランクリン、リンカーンたち。ヨーロッパでは、ナイチンゲール、ジェンナー、赤十字の父アンリーデュナン。

 

なぜかくも彼らはそれほど偉大だったのだろうか?私といえば、ただの煩悩の塊の幸せ追及男にしか過ぎない。

 

人が死んで残るのは、得たものではなく、与えたもの。この言葉からすると私は何も

していないことになる。ただ単なる物理おたくでしかない。

 

一隅をてらすという最澄の言葉がある。私が社会で動くこと、すなわち働くことが貢献だ。この言葉通りには、いっていないのが現状だ。

 

まあ、一つだけ言えることがある。誰も私に大それたことは期待してはいない。

書いていて話が詰まったので終える。

 

ご清聴ありがとうございました